取材日:2001/3/19

1980年代後半、全米を震撼させるほどの人気を誇った超一流レスラー、 ザ・グレート・カブキ。
今はその“仮面”を脱いで、串焼きとちゃんこの店の店主という新しい顔で闘志満々の日々を送る。現役を退いてなお、追いかけるその「夢」とは?

ペイントとオリエンタル殺法で全米トップの地位を築いた功績が光る。
1948年9月、宮崎県延岡市生。1963年日本プロ・レスリング入門、'64年デビュー。'77年にアメリカで、それまでのリングネーム、高千穂明久からザ・グレート・カブキに改名、大ブレイクを果たす。'83年に帰国後、日本に定着。全日、SWS、WARを経てIWAジャパンへ移籍。'98年に引退する。現在は串焼きとちゃんこの店「かぶき」主人の傍らIWAマットでレフリーを務める。
私がプロレスラーになったきっかけは、やっぱり力道山(1963年没)に憧れたからです。小学生から中学生にかけての頃で、当時の力道山はスーパースターでしたから。父親がアマチュア相撲をやっていたこともあってか、格闘技は好きだったんですよ。
“夢”ですよ。今、私は夢という言葉が好きなんですが、“夢がなければ現実にはならない”じゃないですか。自分の抱いた夢がどういうふうに現実になっていくか。そういう意味では、やりたいと思ったことをやれたことは幸せなんじゃないかな。
プロレスラーになることに対する不安はなかったですよ。ただ日本プロ・レスリング株式会社(1973年崩壊)に入門を断られたらどうしようと、それだけです。当時は今よりずっとプロレスの敷居は高かったんです。でもやっぱり夢に向かって進むからには、恐怖心はないです。当たって砕けろって感じでした。それが14歳ですから中学3年生の頃です。
入門してから辛かったことはなかったですか? と、よく聞かれるんです。特に日プロの練習はとてもハードなことで有名でしたから。でも中学校を出て、なにも知らないことが逆に良かったんですよ。“こういう社会はこういうものなんだろうな”って割り切れたんです。
だからいくらガーンッて殴られても、辛いとかはない。例えば失敗してゲンコをもらったら“次からはこういうことはしちゃダメなんだ”ってことがわかるでしょう。そうやって覚えていけばいいんです。
私が入門してから1年半ぐらいの間に2〜30人は入って来たけど、結局は誰ひとりとして残らなかった。でも私自身は逃げ出そうとは思ったことはないです。そのあとに入って来たのが、ラッシャー木村、マサ斎藤、サンダー杉山選手たちですよ。彼らが入って来て、やっと私に後輩ができたんです。
だから同期がいないんですよ。同期の入門者の中には、私と違って格闘技の経験者もいたんですけど、練習見ただけで逃げちゃったりね(笑)。
デビューしたのは16歳になってすぐ、入門して7カ月ぐらいでした。それまでは体作りとちゃんこ番です。先輩レスラーの付き人もしましたよ。同期がいなかったから、私は3人についてました。豊登さん、芳里さん、吉村道明さんです。3人の付き人だから、巡業に出ると両手いっぱいに3人分の荷物を振り分けて持ってね。